File No.62-5  『made in Japan』の意味(5) -コラム-

日本製(made in Japan)というブランドについて解説しています。

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File No.62 / 05

日本製(made in Japan)というブランド

最近は、C国製の製品が良くなってきていると言われたりします。

確かに以前に比べC製の製品の品質は、良くなってきているのは事実でしょう。

私は、日本でC国製の製品が良くなってきていると自慢げに言われていたり、書かれていたりすると、いつも本当に悲しくなります。

なぜ、日本で製品を生産して世界に販売しないのだろうかと思ってしまいます。

日本の中にも大企業を始め日本で製品を生産することを諦めているような感じもあり、日本で製品を生産することすら考えていないように見えます。

最近は、C国製の製品が良くなってきているといって、日本で製品を生産しなくても良いと考えることは、日本(made in Japan)で生産しようというプライドがなくなってきているように思います。

日本製(made in Japan)でいくというプライドがなくなった企業は、何れ消滅していく運命をたどることでしょう。

平成に生まれた人は、日本であらゆるものを生産していたことも、知らないのかも知れません。

ソニーや松下、様々な日本の家電機器メーカーは、ただ単に日本で家電製品を生産していただけではありません。

日本で全ての部品や成型を調達することで、日本独自の高品質でコストパフォーマンスの高い製品を登場させていました。

現在のように海外生産している製品では、品質が良くなったとはいえ、品質にバラつきを多く発生させています。

消費者の製品レビューを見ていると、『製品が非常に汚かった』『直ぐに壊れた』などの日本で生産している時代では考えられないような非常に初歩的なクレームを見かけます。

国内生産している時代では、製品の細部まで目をやり、改善に改善を繰り返して、不良の少ない製品を出荷していたので、初歩的な不良などは、ほとんどありませんでした。

国内なので大手の家電メーカーの下請けの部品メーカーが近くにあり、常に製品の不良の改善に努める努力をしていました。

常に部品メーカーの社長の顔が見える仕事をしていたので、意思の疎通を図ることができ、暗雲の呼吸で敏速な製品の開発、改善が可能でした。

しかし、現在のように海外で生産するようになると品質に対しての考え方が異なるので、品質の追求に多くの妥協をしざるえません。

もし現在、かつての日本製品のような品質を海外で生産したいと考えると、品質についてのやり取りだけで、何度も何度も支持しなければならなく、製品を生産することが苦痛になるでしょう。

海外で生産するためには、品質で妥協を余儀なくされます。

日本の共通の言葉を使って同じ地で育ったもの同士は、家電メーカーが製品を開発する場合、長く付き合いの内に部品メーカーにある程度支持すれば良いだけになります。

また、大手メーカーから受けた仕事で部品メーカーが気になるところを発見すると、いきなり製品に上げるのではなく必ず大手メーカーに報告して、お互いに対策を講じるのが普通でした。

海外生産では、部品メーカーの細かい配慮の部分がないので、高品質追求には限界があります。

現在でも、一部の企業では日本で高品質な製品を生産していた時代のなごりが残っています。

信頼性の必要な宇宙で使用する部品や航空部品など人の命にかかわる高品質を追求に妥協を許さない重要部品は、依然として現在でも日本国内で生産されています。

この状況は、どのようにグローバル化に進んでも変わりないでしょう。

少し手の込んだ部品は、海外で生産することに骨が折れるからだと思います。

1980年代に確立された日本生産という高品質は、海外生産では真似することは出来ません、

日本製(made in Japan)というものが、世界一の品質として認められ、日本製(made in Japan)というだけでブランドにもなりました。

現在でも、多くの外国の人から『made in Japan』なら安心や品質が良いというのが聞かれます。

最近の大手の家電メーカーでは、日本で組み立てだけを行うことで、『made in Japan』と記載するような姑息な手段をとっているのもあります。

そのような製品には、本当の『made in Japan』の高品質は望めません。

日本のメーカーの製品には、『made in Japan』というものを責任を持つ必要があります。

『made in Japan』と記載したら、決して品質の悪い製品を出すことは許されません。

もし、品質の悪いものに『made in Japan』を記載してしまうと、メーカーの責任だけでなく、日本の製品全体の信頼を損なってしまう可能性があります。

メーカーは、製品に『made in Japan』を刻印するには、相当の覚悟を責任を持って生産して欲しいものです。

高品質でないmade in Japanなど意味がない。

日本の大手のメーカーが、『made in Japan』の製品を多くの外国人が求めていることを知って、日本で生産するようになれば良いのですが、『made in Japan』が再び登場することに不安がないともいえません。

なぜなら、日本の大手のメーカーが長くグローバルを推進してきたので、日本生産の高品質な製品を全く理解していない可能性があります。

現在、海外で生産しているような製品と同じ品質の製品を日本で生産するだけでは、全く意味がありません。

長い間グローバル経営にどっぷり漬かってきた日本企業の多くは、かつてあったような日本企業の精神が完全に失われ、心も魂の外国企業と同じになってしまっています。

製品の品質を上げることやサービスの向上は企業のコスト高に繋がるために、グローバル企業からすると損失以外何でもありません。

グローバル企業が求めているのは、どのような品質の製品でも自社の製品を黙って喜んで購入してくれる消費者だけだからです。

グローバル企業にとっての品質向上は、自ら率先して高品質を目指していくのではなく、消費者のクレームや製品が売れなくなったことから、仕方なく品質向上させるぐらいです。

グローバル企業は、自社の製品をコツコツと品質向上させていくことよりも、ステマを利用したネットマーケティング工作の方が遥かに重要になります。

日本企業は、グローバルによって、かつてのような日本製品にあった日進月歩による高品質の追求することは失われてしまいました。

グローバル企業は、利益のみの追求が必要なので、他のメーカーの製品よりも先に品質を上げることは、損が増えるぐらいしか考えないので、自ら良い品質を登場させることはありません。

もし現在以上に品質を向上させてしまうと、その品質が基準になり安価に生産できなくなるからです。

グローバル企業経営とは、利益の追求なら、消費者にとって不利益になることでも問題ではありません。

現に不良が発生した製品などに真剣な対策など考えず、とりあえず交換でしのいで、次のロッドで対策すれば良いぐらいにか考えていません。

顧客管理のデータ管理も、安価であるなら、反日教育している国でも平気で管理させます。

グローバル企業経営には、人の想いや気持ちは通用しません。

お金の為なら、どのように人が不利益を蒙っても、どのように不正しても良いのがグローバル企業経営というものです。

そのようなグローバル思考に染まった日本企業なら、『made in Japan』が売れるなら、どのような低品質であっても『made in Japan』の刻印をして販売するかも知れません。

ここに『made in Japan』への心配があります。

『made in Japan』のブランドの信頼を落してまで、『made in Japan』の製品は、必要ありません。

低品品質の『made in Japan』は、害でしかありません。

私たちの前任者の技術者たちが、作り上げてきた『made in Japan』の高品質の信頼性を決して汚すことは許されません。

もし低品質の『made in Japan』の製品を登場させてしまうと、多くの世界の人たちからの『made in Japan』への信頼を失ってしまうからです。

これは、日本にとって大きな損害です。

『made in Japan』の刻印をした製品は、高品質であることが基準にならなければ意味がありません。

このことを理解して日本企業は、『made in Japan』の製品にチャレンジして欲しいものです。

品質の追求とは

経済学者や製造をしたことのない学者や技術者たちは、日本の製造業の衰退にたいして、品質を追及するあまり国際競争力に遅れをとったと簡単に語られています。

日本の過剰品質が、コスト高になり国際競争力から脱落して衰退したといわれます。

品質の追求とコストの削減を同じに考えているからだと思います。

2000年ぐらいの学者や技術者であれば、グローバルの影響で品質向上とコスト向上は比例関係にあると考えて信じて疑うことはないでしょう。

確かに普通に考えれば品質を上げることは、コストに比例します。

しかし、日本の工業製品が世界一番の品質を誇っていた1980年代の国際競争力のあった日本の製品は、事情が大きく異なります。

世界最高の品質、信頼性をもっていて、なおかつ高級でなくリーズナブルな価格を実現したことこそが、日本を世界の経済大国に押し上げたのです。

今では当たり前になっているカーナビゲーション・GPSシステムのも当初は、アメリカの軍用技術の払い下げで、価格が200万円以上するものでした。

軍用技術の払い下げで素晴らしいものでも、200万円以上するGPSシステムなど普及などしませんでした。

そこで日本のオーディオメーカーだったP社が、GPSシステムを分析した結果、GPSシステムの価格を大きく押し上げている部品を見つけました。

P社は、GPSシステムの価格を押し上げている部品を改良して、非常に安価に部品を仕上げることに成功し、GPSシステムの価格を大幅に下げることができました。

価格が下がったことでカーナビゲーション・GPSシステムは、世界的に爆発的にヒットすることになりました。

P社が改良した部品は、確か60万円かかっていた部品を600円ぐらいに生産することができたと聞いています。

しかし、60万円かかっていた部品を600円になったからといって、品質や精度が落ちたのではなく、むしろ品質があがって、尚且つ安価に製作できるようになったことで、GPSシステムは、世界的に普及して現在ではカーナビゲーション・GPSシステムが付いていない自動車が少ないぐらいになっています。

日本の高品質志向は、GPSシステムのように高品質でありながら、安価で販売できること、これこそが日本の技術の強みであって、日本の製品が世界に認められ日本が技術大国として知られるようになったのです。

日本の品質の追求とはの写真
日本の品質の追求とは

このようなことを全く理解しないで、紙面だけで日本の過剰品質が国際競争力から脱落したようなことを言い張りますが、完全な誤解だと思います。

日本の高品質というのは、高品質を求めながら、工夫をして低価格で製造することです。

これこそが日本の製品が、世界で認められた理由です。

1980年代の日本の製品を全く知らない人たちは、簡単に日本の製品が国際競争力に遅れをとったことを説明します。

日本製品が、高品質の追求によって高価格になっていたなら、世界一般に日本製品に高い評価をされることはなかったでしょう。

かつての日本の製品は、低価格で高品質の製品だったことが、世界で認められ日本製品が大きく売れることになりました。

日本の高品質の追求とはコストを押し上げることでなく、頭を凝らしてコストを押し上げることなく、製品の品質を向上させることなのです。

日本製品の強さとは、高品質でありながら低価格であることでした。

そのことを忘れ去ってしまったのが、現在の日本のグローバル企業と経済学者たちです。

日本の製品の競争力が落ちた理由 つづく


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