File No.14(全3ページ) オーディオの音は、生演奏にはかなわない? -コラム-

オーディオと生演奏の賛否(1)

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オーディオの音は、生演奏にはかなわない?

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オーディオと生演奏の賛否

『所詮オーディオの音は、生演奏にはかなわない!』 

とコンサートなどの生演奏を音を重要視する人は、オーディオの音を批判します。

演奏家の人も録音された音楽は、所詮オーディオの音として下に見るひとは多くいます。

オーディオ好きの私は、このような考えにあまり賛同することはできません。

確かに生の演奏は、生でしか味わえない躍動感や演奏現場にいる雰囲気、その時でしか得られない躍動感などの感動を得ることができ、生演奏の音の良さや迫力を否定するつもりは毛頭ありません。

しかし、私はあえてここで

    

『音楽などの芸術の楽しみは、決して生演奏だけでない』

                         

と申したい思います。

生演奏は、ぞの空間(場所)でアーティストと自分が一体となり、深い感動を生むのは間違いありません。

しかし、現在のようなショー・ビジネスというものが完全に成立した段階で、生演奏だけで芸術を堪能し満足することは、たいへん難しくなってきていると思います。

生演奏のドキドキ感

数十年前の生演奏には何が起こるかわからないというワクワクするドキドキ感がありました。

アーティストたちは、観客の前で歌や演奏を自分の芸術を全力で表現していました。 演奏プログラムも決まっていましたが、その時のライヴのノリなどで追加されたり、コンサートの終了予定時間を越えても、ライブのテンションが上がっているとアンコールなどで終了時間を大きく上回る演奏なども多々ありました。

観客は、アーティストのコンサートに行くと

     『何が起こるかわからないというワクワクドキドキ感』

というものを味わうことが出来ました。

アーティスト自身の熱気が伝わってくるようなライヴ演奏や歌声は、感動そのものです。

コンサートで、ドキドキすることが少なくなった。

しかし現在では、このようなアーティストと観客が一体となった充実感は、なかなか得られなくなってしまいました。

現在はショー・ビジネスというものが一般化し完全に成立してしまっているので、演奏するコンサートプログラムは完全に決まっており時間延長すること主催者側の予定変更以外はほとんどありません。

アーティストの演奏プログラムは、完全にコンピュータで制御されているために、その場の雰囲気で曲を決めることはほとんど出来なくなってしまっています。 ある外国アーティストでは曲と曲のアドリブの台詞まで決まっていて、毎回同じことをいうことが当たり前になっていることもあります。

これではコンサートは、アーティストの芸術を堪能しに行くのではなくて、アーティストを見るだけに行くことになってしまします。

それでも、ライヴの躍動感や周りの観客との一体感などの熱気は味わえますが、なかなか芸術を堪能できるレベルまでには達しません。

ライヴコンサートでは、以前のように芸術を楽しめることがなく

   『ドキドキすることが少なくなった。』

ように感じるようになりました。

ショー・ビジネスの発展が、芸術を再現しにくくなった。 つづく



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