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50年前の録音から現在の録音を考える。
50年前の録音の視聴して考えさせられるように思いました。
確かにハイレゾ音源は、50年前の録音よりも遥かに高スペックで優れているものだと思います。
しかし、50年前の録音よりも遥かに優れた音質のハイレゾ音源の音楽に何か物足りないものを感じてしまうことがあります。
なぜ、そのようなこと感じでしまうのがを考えていました。
サンプルの50年前のビックバンドの録音の視聴して、思い当たることがありました。
50年前の録音するのは、現在のハイレゾ録音のようにダイナミックレンジに余裕がないので簡単ではありません。
録音音質を確保するためには、大変な苦労をしたように思います。
ハイレゾ録音でもマイクのセッティングなど簡単だとは思いませんが、少なくとも録音レベル、ダイナミックレンジに対しての余裕は50年前の録音とは比べ物にならないのは間違いない事実です。
また、50年前の録音では演奏のほとんどが一発録音に近い録音したと考えられます。
50年前でもテープを継ぎはぎすることで編集することは可能だったと思いますが、アナログテープを細かく裁断して編集することは、オリジナルテープの損傷にも繋がるので裁断するにも限界があります。
50年前の録音サンプル(4)
50年前の録音・編集に制限が多い中で録音でサンプルにあるような音質は、素晴らしいとしかいいようがありません。
ハイレゾ音源の録音では、編集に制限が全くなく、あらゆることを自由に編集でき、理論的には、ほとんど制限がないと考えることができます。
ハイレゾ音源というディジタル方式の録音は、録音・編集にほとんど無制限といって良いほどの高性能な録音方式といえます。
ハイレゾ音源の録音の制限のない方法は、理想だとは思いますが、その理想ゆえにアーティストを始め録音エンジニアの録音に対する緊張感が薄くなるのではないかと思います。
録音に制限がないというのは、録音に対して自由度が上がるということですが、その制限のない自由度がかえって音楽に一種の緊張感をなくしてしまうように思います。
これは、ピアノやヴァイオリンなどの芸術があるのは、音域という制限があるからだと考えることとよく似ています。
録音に制限があるから、何とかして生々しいサウンドを録音するためにいろいろな努力をすることが芸術作品を音を深めているよう思われます。
ハイレゾ音源の録音では、良い作品を製作するために編集を無制限に加えること可能なことが、逆に音楽という一瞬で消えていく音の世界の芸術の緊張感などを薄めているように感じられます。
オーディオとして録音性能が向上することは大変良いことなのですが、録音性能向上と編集における制限のないことで音楽芸術に重要な緊張感が薄くなるという大きなジレンマがあるということは否めないように思います。
現在のアーティストは、過去音楽作品の音の中から現在にない何かを感じ取ることが大切なのかも知れません。
何れこれらのジレンマの問題は、アーティストが音楽芸術という原点を見つめ直すことで解決するものでしょう。
今回の50年前の録音のサンプルの音を視聴すると、現在にない何かを感じ取れるではないかと思います。
おわり