File No.60-7  音・音質の判断の難しさ(7) -コラム-

感性が重要であっても、良いスペックを求めることは重要であることについて解説しています。

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感性が重要であっても、良いスペックを求めることは重要である。

オーディオにとって良い音、良い音質というものは、人様々な感性によって違うので感性のみが重要でスペックを求める必要はないものなのでしょうか?

オーディオファンであれば本人の好きな音が最も良い音になるので、良いスペックを求める必要はないかも知れませんが、オーディオを製作する技術者であれば、少しでも音に良いと思われるスペックを追求する必要があります。

最低限、良いスペックを追求した上で、自身の良い音、良い音質というものを披露できるものではないかと思います。

スピーカーなどは、スピーカーユニットをどのような箱に入れてもそれなりの音で再生できるものです。

自身の感性のみを頼りにしてスピーカーを製作していると、他の人が歪に感じる音に気づかずに製作することになり、自分よがりの良い音になってしまいます。

個人で楽しむものであれば、どのような音であっても一向に構いませんが、他者へ販売などする目的であれば、現在考えられるオーディオへの良い音の最低限のスペックの追求はしなけばならないと思います。

スピーカーの特性やアンプの特性で、最初から周波数特性に大きなピークが存在することがわかっているなら、なるべく平坦になるように特性を良くしていく努力が必要です。

そのようなスペックを良くする努力なしに感性を優先することは、自分善がりの良い音、良い音質に傾倒してしまいます。

良いスペックの追求をした結果の上に自己の感性を表現できるのではないかと思います。

良いスペックを追求した上で、良い音にあまり関係がないスペックや、この部分はもう少し甘くしても、そんなに問題ないだろうなどのことが解るようになってくるものだと思います。

例えば、僅かなスペックを上げるためのコストから考えれば、その部分向上させるよりも他の部分の向上させた方が音にには効果が高いなどのことが解ってくるようになってくるものです。

いきなり感性だけで良い音を求めてしまうと、自分の思い込みだけが優先してしまう可能性がでてしまうものです。

もちろん自身の感性を否定するものではありませんが、他社に提供するオーディオ製品であれば、一応スペック的な追求をした後に自身の考えを製品に投入して欲しいものです。

それが自作オーディオであっても、良い音の為に良いスペックを求めることが自身の技術の向上に繋がるように思います。

他人に良いものをわかってもらいたい、良いものを提供したいという気持ちがあれば、自身の感性だけのみに頼らず良いスペックの物を提供したいと思うはずです。

オーディオの良い音の判断は、感性が大変重要であっても、よりスペックの向上を求めることはオーディオの発展にとって大変重要なことだと思います。

良い音の感性(センス)を磨くには

良い音の感性を磨くには、生の良い音楽を聴くことが最も良いといわれています。

日本の有名ホールから街の音楽ホールで演奏される音楽をリアルに聴いたり、海外の有名ホールからオペラハウスなど様々なホールで音で本場の良い音を聴くことで、様々な良い音楽に触れることで自身の感性を育てていくことが、最も良い音の感性を持つ近道だといわれます。

このような良い音の感性を磨く方法を知ったとき『なるほど、それは間違いないことだ!』と思われた方は、現在の日本で大変恵まれた環境に生きていることだと思います。

オペラハウスの写真
オペラハウス

日本で大変恵まれた環境のオーディオファンであれば、海外旅行などのついでに良い音楽を求めて海外のホールによって見ると良いことでしょう。

しかし、上記の感性を磨く方法は、誰が聞いても正論で間違いないことだと分かっていても、多くのオーディオファンの方々は、白けてしまったのではないでしょうか?

現在の日本では、私を含め若いオーディオファンの方々の多くは優雅に海外で音楽を鑑賞できる余裕のある方は、ほとんどいないのが現状ではないかと思います。

2000年までに退職して引退された方には、このような日本の現状はあまり理解出来ないことかも知れません。

なせならば、2000年まで活躍された日本のほとんんどの方は、どのような仕事であっても、きちんとした給料が貰える時代だったからです。

現在の日本は、政府や企業をはじめ国内で生産する大切さを軽視した為に(いや国内で生産しないことに躍起に推薦している)日本で製造する製造業というものがほとんどなくなってしまいました。

その結果、第三次産業のサービス業が日本主要産業になってしまい、そこに移民推進など、今後日本人の継続的に給料があがることは絶望的です。

一生懸命仕事をしても、かつてのような豊かな生活は期待できない時代になってしまいました。

政府や大手の企業が求める成長戦略は、言葉こそ良さそうですが日本人の個人個人が豊かになる政策ではなく、一部の利権をもった企業に優遇するだけの政策で全く期待することが出来なく、先行き良くなることは期待できそうにありません。

そもそも20年以上、同じような政策をしてきましたが、結果は、サラリーマンの給料の横ばい状態で将来の不安は解消できていません。

その上、成長戦略など口にするたびに外国人がどうのこうのと、全く日本に住んでいる人の幸福になることを考えません。

そのようなことから多くの日本のオーディオファンの人たちが、上記のような豊かの方法での感性の磨くことは、現実には大変難しいものだと思います。

しかし、豊かな方法で感性を磨くことが出来なくても、一般のオーディオファンが別の方法で良い音の判断の感性を磨く方法があります。

それは日常の音に注目することで、良い音の判断の感性を磨くことです。

普通に存在するに日常的な音をオーディオの音で、どれだけリアルに再現できているかかを考えることで良い音を追求していく方法です。

この方法では音楽的な感性を磨くことはできないかもしれませんが、良い音の判断の感性は相当に磨くことができるのではないでしょうか。

何気ない日常の音をリアルにオーディオで再現することは、一見大したことがないように見え重要でないように思われるかもしれませんが、これができれば間違いなくリアルな音だといえます。

実際の音と間違えてしまいそうなリアルな音を『良い音』としての判断の基準としてしまいます。

ここで考えるリアルな音を良い音の基準にしてしまうと、個々オーディオファンがが考えているオーディオ的な良い音とは離れてしまう可能性がありますが、別の意味でリアルな音は良い音には間違いないことだと思います。

確かにリアルな音は、そのままの音を再現するので、常に心地の良い音ではないかも知れません。

しかし、色づけのないリアルな音の追求こそが、オーディオの究極の良い音だと言えるのではないでしょうか。

現実的にはオーディオではリアルの音の再現は不可能ですが、実際の音と間違えそうになるのがリアルな音ということとして基準にします。

リアルな音の追求するのにフィールドレコーダーなどを使用して日常のさまざまな音を録音してオーディオで再生してみるということも良いのですが、音楽でもなんでもない日常の音を録音することは仕事でない限りストレスになりかねませんので、そのようなことを目的がない限り必要ありません。

したがってリアルな音の追求は、日常にある何でもない車の音、救急車が通ったときの音の雰囲気などの様々な音を頭の中に記憶しておき、オーディオで日常的な音がリアルに再現していると思われれば良い音・音質ということにすれば良いと思います。

日頃から、気にかけない何げない音でも、たまには注意深く聴くようにしていると、オーディオの良い音の判断がしやすくなります。

日常にあるいろいろなある音、トイレで流す水の音やドアの閉まる音、通りすがり車のさまざまな車種による音の違いやオートバイの通り過ぎる時の音の違いなどに注意深く聞いて記憶していると、多数のオーディオファンの求める良い音についての考え以外に自分自身の良い音の考えが自然に構築されていくものだと思います。

常に良い音を求め、疑問を持つ心が必要である。 つづく


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