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恐らくグローバルは、成功しないだろう。
日本の大手の家電メーカーや自動車産業が、1990年以降急激なグローバルを推進しますが、将来的に上手くいかないことは約束されているものだと思います。
日本の企業がグローバル化に成功して売上が上がったとしても、人の心を踏みにじった方法では本当に成功したといえないことでしょう。
かつて世界的に品質の良さで認められた多くの日本の企業は、グローバル化を推進していったことにより、何れは企業の親株主が変わり創業者の一族が完全に排除され無国籍企業の形態に変わっていくことだと思います。
無国籍企業になれば日本国内に税金を払わないだけでなく、大きな資金力によって日本国内政治に癒着が進み、お金に群がる政治家を大量に囲いこむことで、より企業の有利になる法案を通してくるのは時間のの問題だと思います。 かつて創業者が求めた日本企業の理念は消え去り、企業の失敗の付けは従業員に押し付けられ、国民は税金を余分に取られるようになっていくでしょう。
残念ながら今日のグローバル化を推進していっている企業は、一握りの拝金主義者たちのゲームのように見えてなりません。

最後に
近年、世界中の国々、人々がグローバル思想といものに取り付かれたように感じられてしかたがありません。
現在は、交通や通信の発展により世界がより身近な存在になりつつあり、ある程度世界中が似てくることは仕方がないことかも知れません。
しかし、世界中が似通ってきている現在でも、音楽などの芸術などに関していえば、独自性が高いほうが楽しく魅力があるように思えてきます。
オーディオやカメラなどの趣味性の高い物まで、グローバルにすることが本当に必要であったのか疑問に感じてしまいます。
私は、旅行にするなら少々不自由であってもハワイに行けばハワイらしい雰囲気を味わいたいし、ドイツへ行けばドイツらしい雰囲気を楽しみたいと思っています。
最近は、あらゆるものの国際化が進んでいくことで、世界各国の人の習慣や趣味が似てきているように感じます。
そのようなことを考えると1970年や1980年ぐらいまでに海外旅行できた人は、本国と全く異なる異国の地の楽しめ本当に幸せだったように思います。
もので例えるなら私であれば、ドイツの製品をを購入したとすればアジアのどこかで製作したような感じのものではなくてドイツの匂いがするようなものに魅力を感じてしまいます。
世界の交じり合って文化やいろいろなものが統制されていく社会よりも、お互いの文化を尊重しあう社会の方が絶対に魅力的で平和だと思います。
オーディオでも、同一の生産国で生産された製品よりも、設計した自国で生産した独自の個性ある製品の方が、その国特有のオーディオの考え方や空気、匂いのようなものが感じられよりいっそう楽しめるように感じられます。
たとえそれがディジタルという共通のデータのCDのような音楽ソフトのようなものであっても、各国で独自にプレスされた方が製作した人の考えや個性が音となってでるので、オーディオがより楽しく味わえるように思います。
いろいろな製品が世界的に統一化されていくなか、趣味性の高いオーディオだけは独自性のある個性のあるものが欲しいものです。
趣味性の高いオーディオ製品のグローバル的な方法は、オーディオを求める消費者を完全に無視しているように思えてなりません。
メーカーが、本当にユーザーのことを考えているなら言葉だけでなくユーザーが求めるものを製作するか、あるいはユーザーを感動させるような高品質な製品を製作して欲しいものです。
趣味性の高いレコードやCDなどは、グローバル化や合理性を求めて統一されていくと、さまざまな各国の特有の味わいがなくなるためオーディオの楽しみが少なくなってしまいます。
最近、かつてのようにホームオーディオに活気がない理由として、CDなどのプレスが合理化により統一化さていき個性がなくなったことが原因でもあると考えられます。
今後、あらゆるものの独自性と個性がなくなっていくのが心配になります。
グローバルというものを、一から考え直さなければならない時期がきているように思います。
おわり
