File No.71-4 オーディオの満足と感動は、合理性の外にあるのかも知れない(4) -コラム-

満足と感動は、合理性の外にあるのかも知れないことについて解説しています。

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満足と感動は、合理性の外にあるのかも知れない

好きなアーティストのコンサートに行くと、アーティストの音楽を生で楽しめ、その場での一体感と雰囲気から感動し満足することでしょう。

音楽をコンサートに行って聴くという行動というものは、インターネットから簡単に聴ける音楽を、わざわざチケットを取って、電車に乗って、コンサートホールに行くという行動などは、音楽を楽しむだけを考えると決して合理的な方法とはいえません。

しかし、多くの手間とお金と時間を使ってコンサートホールに行くという行動は、一見不合理なことと思われても、音楽を聞く上で普通以上に満足と感動を得ることができるものです。

音楽の感動や満足は、音楽を聞くという以外に、その音楽を得るために、どれだけ行動したかに比例しているように思われます。

インターネットで簡単に音楽を手に入れられるようになることは、一見便利で合理的な方法であることは間違いないですが、音楽を聞くこと自体をインスタントな習慣にしてしまいかねません。

オーディオでも、様々なオーディオ製品を物色して、いろいろ失敗してきた結果、やっとのことで良い音を手に入れた先により深い感動や満足ができるようになるのが普通です。

音楽についても、その音楽を求めて様々の行動をしたことが、音楽と共に記憶が頭に定着して、より深い満足と感動を得れるのではないかと思います。

満足や感動というものは、合理性の外にあるのかも知れません。

そのことは、現在もう一度、音楽とオーディオというものを見直し、実際に行動することで、理解できるようになると確信しています。

                          おわり

                         



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