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はじめに
近年のオーディオの音やCDの音になかなか納得できないように思うようになり10年ぐらいたちましょうか。音源に関してはCDを遥かに超えるハイスペックのハイレゾ音源などの媒体が登場しているのに不思議でありませんでした。
また、アナログレコードやCDに比べ大幅にダイナミックレンジやFレンジが拡大されたのにもかかわらず、アンプやスピーカーの進歩が30年前のオーディオに比べ遅いように思います。 いやオーディオ機器に関しては退化しているようにさえ感じられるのはなぜだろう。という疑問にさいなまれることがあります。
なぜ、このような問題が起きてしまったのだろうか?
この問題を理解するのに、自分自身かなりの時間を要したと思います。
オーディオショウなどの視聴会でいつも音に不満を持ち、なぜこんなに音が悪くなってしまっったのか不思議に思い数年が過ぎていきました。
部分的にはオーディオ機器の問題があり、スピーカーの性能がある時期を境に、大きく音が低下したように感じました。
オーディオの音源は、以前にないようなハイスペックで高音質なのに、オーディオ機器は進化していかない、オーディオの追及が止まったような現象に驚かざるえない状況が続いていることが不思議でなりませんでした。
しかし、あるオーディオショウの視聴会の出来事から、このような問題がにわかに発生している理由が少し判明してきたように思いました。
多くのオーディオ・メーカーの方々は音というものを誤解しているのか、いやそれをしっていて利用しているだけなのかも知れません。
これらの問題を解決するには、高音質というものについて一から根本的に見直す必要があるのではないかと考えています。
この問題は、CDなどのメディアの音やオーディオ機器に関する問題を同時に考えると話が複雑になり、問題そのものが理解しがたいものになると想像できます。
そこで、今回は音質、高音質についての考えを絞って掲載していきたいと思います。
オーディオ視聴会での出来事(1)
随分前のことですが、あるオーディオ視聴会で友人とオーディオショウに行ったときのお話です。
オーディオショウでは、メーカーの新しい製品を特徴を照会して視聴会を開催していました。
この時の視聴会では、新しい高音質メディアのSACDやDVDオーディオやハイレゾ音源の音を盛んにアピールしている模様でした。
各オーディオメーカーの今後のオーディオの展開として、SACDやハイレゾ音源を主体にした視聴会でした。
オーディオ・メーカーの人たちは、いろいろとSACDやハイレゾ音源を再生することで、しきりに新しいオーディオの可能性について説明していました。
SACDやハイレゾ音源の再生では、いつものように女性のボーカルや迫力のあるベースサウンド、クラッシック音楽のオーケストラの大迫力のあるサウンドなどを再生していました。
メーカーの人たちは、新しいSACDやハイレゾ音源の音質の良さをアピールしていましたが、私自信は、こんなものかなと言う程度の感じでした。
そうこうしている内に、新しいオーディオでアナログレコードを視聴することになりました。
視聴するレコードは、昔の日本のフォークソングのレコードでした。 その他のレコードも視聴したと思いますが、思い出せません。 この時のフォークソングのレコードの音が、強烈に私の頭に残ったからです。
1960年から1970年あたりに流行ったフォークソングの曲だったと思いますが、このフォークソングのレコードが何であったかも覚えていません。 そのフォークソングのレコードの中の音に、遮断機の信号機が鳴り電車の通り過ぎる音が効果音として入っていました。
そのレコードの電車の通り過ぎる音が。実際の音のようなリアルに再生されたことに驚きました。
このレコードに入っている電車の通り過ぎる音の効果音は、恐らく実際の電車の通り過ぎる音をオープンリールで録音したものだと思います。
こんな昔にオープンリールで録音された音が、レコードになってこんなリアルに再生されることに驚きました。 このオーディオ視聴会で私が記憶に残ったものは、高音質といわれるSACDやハイレゾの音ではなく、古いレコードに入っていた電車の通り過ぎる音だけでした。
視聴会が終わって視聴室を出てから友人に、さっきのレコードの『電車の通り過ぎる音が非常にリアルだった』ということを話すと、友人は先の視聴で『あのレコードが最も音が良かった。』と答えた。
その友人は、私とオーディオで長い付き合いのある人ですが、この視聴会のことをいろいろと話してみると私と考えが全く同じだったので、私はこのレコードの音の良さについて確信をもつことができました。
オーディオ視聴会での出来事(2)
人というものは、ある出来事に関心が集中するとその他のことは忘れてしまいます。
人の記憶というものは、そんなものなのでしょう。
今回もオーディオショウでの視聴会でのお話になりますが、この視聴会の中であることだけが記憶していますが、それ以外はほとんど忘れてしまいました。
このオーディオショウの視聴会では、SACDやハイレゾ・オーディオの視聴がメインだったように思います。
そのときの視聴会では、そのメーカーが録音機も製造しているので、独自の音源を用意していた。 独自の音源を用意というよりも、ダミーヘッドの録音の実験の様子を説明するために録音の様子を記録していたものを視聴にしようしたものであった。
それはオーケストラの練習の様子ををダミーヘッドを使用して録音するというものであった。
人形の頭の形をしたダミーヘッドを使用して録音テストしている様子が滑稽で気になったのか、指揮者が人の、録音テストしている人たちに話しかけてきました。
『それは何ですか??』
ダミーヘッドで録音している人は、なにか指揮者に説明しているようでしたが、ぼそぼそと音が小さく録音している人の会話の内容は聞こえませんでした。
指揮者は説明をもらうと
『そうなんですか・・・』
『面白いものですね・・・』
とうようなことを答えていました。
その時の指揮者が答えた音が、目の前で話しているようにリアルな音に聴こえたことに驚き、その他の視聴したSACDやハイレゾ音源のことはすっかり忘れてしまいました。
それぐらいこの時の、指揮者の会話の音の良さの記憶が私から他に視聴したものを忘れさせ、この指揮者の話声が記憶に残りました。
このオーディオ視聴会では、これが決してメインの視聴ではありませんでしたが、私の記憶にの中には、この指揮者の声がオーディオが目指さなければならない世界の重要なヒントになっていると思いました。
『良い音』というものについて考えていきたいと思います。