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高度で上手い歌手の音楽は、音楽の先生のように感じる。
世の中には、素晴らしい声で一音も外さず完璧に近いように歌を歌いこなす歌手が多くいます。
本当に上手いと感心させられますが、なぜか完璧に近い歌声が心に響いてこないのです。
このような感覚は、私自身が個人的に持っている感性ですので、誰にでも当てはまることではないと思います。
素晴らしい声で一音も外さず完璧に近いように歌を聴いていると、歌手の個性のような魅力を感じられないときがあり、まるで音楽の先生が歌っているような感じがしてなりません。
どのように説明して良いのか大変難しいのですが、例えば歌手の物まねをする芸能人が、歌手の物まねをして歌を歌っているときには、その歌が大変魅力的に思われても、物まねをしないで地声で歌った歌を聴くと、さっぱり歌に魅力がなくなってしまうような感じです。
歌が上手い以上に、歌手が培ってきた人間性のある個性を感じた時に、歌手の歌に魅力を感じれるのだと思います。
よく歌手は、上手いだけでは物足りないと言われるのは、歌手自身がもつ個性があって、はじめて観衆に心に響く歌を伝えることが出来るのかも知れません。
アーティストは、音楽に魂を込めて欲しい
1967年から1971年の大変短い期間を活躍したジャニス・ジョプリン(Janis Joplin)の音楽を聴くと、歌が上手いというのでないのに、歌が心に響いてきます。
ジャニス・ジョプリンという歌手は、歌声もあまり良くありませんが、なぜか彼女の歌は心まで響きます。

まるで彼女の魂が音楽を伝ってきているように感じられ、心に染みこんでくるような感覚です。
ジャニス・ジョプリンの歌声を聴いていると、芸術というものは何かと考えさせられます。
芸術というのは、アーティストの心の中の魂の叫びのようなものが必要なのかも知れません。
ジャニス・ジョプリンの音楽を聴いていると、ジャニスの心の叫びのようなものが感じられ、心がゆれ動かされるような感覚に陥ります。
ニルヴァーナ (Nirvana) のボーカルのカート・コバーン(Kurt Cobain)の音楽にも、心を打つようなものが伝わってくるように思います。

言葉では説明できないことなのですが、心に響いてこない音楽は、結局流行りで終わってしまうのではないかと思います。
心に響く音楽は、時代が経過しても、決して忘れられることがありません。
どのように上手く歌を歌いこなしたとしても、気持ちが入っていないと、ただ上手いだけで心まで響いてくることはないでしょう。
流行の音楽ばかりを聴いていると、聴いているときにはわからないかも知れないですが、あれほど感動していた音楽なのに、なぜか全く聴かなくなっている自分に気づきます。
全く聴かなくなってしまうということは、音楽が心に響いていなかったのだろうと思います。
アーテストは、お金を稼ぐために仕事をするのではなく、魂を込めた芸術を披露してこそ、本物のアーティストになれるのではないかと思います。
演奏の高度さ以上のものを提供できてこそ、本物だと言えるのではないでしょうか。
アーティストは、音楽に魂を込めて作品を制作して欲しいものです。