File No.62-1(全11ページ)  『made in Japan』の意味(1) -コラム-

『made in Japan』の意味について解説しています。

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『made in Japan』の意味

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ものづくり大国日本

いつもテレビやネットなどの報道に『ものづくり大国日本』などの言葉を良く見かけます。

私からすると『ものづくり大国日本』などの言葉は、いつもうんざりさせられる言葉です。

なぜならば現在の日本に『ものづくり大国日本』など存在するのかと思えてくるからです。

1980年代に家電ショップに行ったときには、テレビ、ビデオ、オーディオなど、ほとんど全てが日本で生産されており、海外で生産されいる製品を見つけるのが難しかったぐらいです。

日本国内で生産された家電製品の写真
日本国内で生産された家電製品

現在は、本当に『made in Japan』の製品を見かけなくなりました。

現在の日本では、企業のグローバル化が進み、国内で最終製品を生産することがほとんどなくなったからです。

政府による成長戦略なども、日本国内での生産を目指すのではなく、観光立国など第三次産業を中心とした政策を推進して、日本国内の不景気脱却を目標としています。

20年以上前から、国民を豊かにするためのいろいろな政策を実行してきましたが、一向に景気は良くなる傾向がありません。

構造改革などそれっぽい命名で景気が回復するなどのイメージ操作により、経済が良くなるなどと多くの支持を集めた政治家や経済評論家たちも、実行した結果の十数年経過した現在でも景気回復しないことについても一切触れず、現在も無責任に有識者委員会になどに留まって新しい成長戦略を言い及ぼしています。

恐らく、どのような新しい成長戦略も、日本の国民を豊かにする方法としては、全く効果がないものなのでしょう。

もう政治家や経済学者の豊かな生活を支えるための能書きに付き合うのは、やめようではないでしょうか。

もう、今までの考え方、やり方を変えていこうではないでしょうか

と思います。

経済学とは、SF小説のようなもの

経済学は、SF小説のようなものかも知れません。

経済学を学問として捕らえると、現実とのギャップに悩むことになります。

現在の世界の多くの国が資本主義社会というものを支持しています。

経済学の中には資本主義社会では悪の代表とされる経済学者のマルクスの社会主義を理想として資本論というものを登場させ、それを実行した国は、マルクスの理想とは真逆の共産主義国家という絶対王制国家を成立させることになりました。

マルクスの社会主義思想は、絶対王制を成立させるために書かれたものではなかったと思います。

しかし経済学では、社会主義思想から絶対王制を成立させたことについてあまり問われていない感じがあります。

また、マルクスだけでなく多数の経済学の名著や新たにいろいろな経済についての本が出版されていますが、常に理論が優先して現実の状況の結果に対して問うことは少ないように思います。

経済学が全く意味がないのかというと、そうではなく経済学は過去の経済的な動向を分析するのが学問が真の意味での経済学だと思います。

いつの間にか経済学というのは、占い師のような当てモノのような学問となってしまった感じがします。

当てモノが外れると適当な理由を述べて逃れたり、新しく最もらしい次の経済理論を述べます。

経済政策である金融政策ひとつを見ても、同じ時期に金融緩和が良いのと金融引き締めが良いなど経済学では全くの真逆の考えが平然と存在しています。

電気理論であれば、真逆の考えでは成立しないのでありえないことだと思います。

電気など回路ではフィードバック理論などがあるのですが、経済学には一切存在しないようです。

電子工学には電子回路シミュレータというものがあります。

これは、実物を製作する前にあらかじめコンピューターを使用して電子回路を設計するというものです。

電子回路シミュレータで設計した回路で実際に製作した機器と同じ動作をしないことがありますが、電子回路シミュレータのパラグラフを修正したりして実際の動作回路に近づける努力は必ず必要になります。

最終的に目的の機能を持った機器の生産することが出来なければ、電子回路シミュレータでシュミレーションする意味がありません。

経済学には電子回路シュミレーションのような経済シュミレーションというのがあっても、実際の経済を検証して結果をフィードバックする必要がないように感じられます。

もし、自身が真空管アンプを自作しようと考えたとき、回路を考え、部品を揃え、組み立てます。

しかし、組み立て後、音が出なければ、修正箇所を探し出し修理して、最終的に音だしが出来て、やっと完成です。

経済学は、組み立て後に音が出なかったとしても、検証せずに次の回路図を探す感じに似ています。

その回路図が素晴らしい音がでるということが説明されていればいるほど重宝され、実際に動作しなくても、関係ないのが経済学というものに見れます。

現在の日本が、様々な経済政策の結果、20年間給料が上がっていないにも関わらず、検証や修正なしに、新しい経済政策に取り組もうとしていることに似ています。

もはや未来に対しての結果など必要ないのかもしれません。

そのとき、もっもとらしい経済理論を実行することで結果に関係なく、自身の至福さえ肥やせれば良いのが経済学というものかも知れません。

経済学には電子工学のようなフィードバックして、修正する機能がないのでしょうか。

再現性のない理論を延々に繰り返し達成できなかった理由を、あれこれと最もらしく難しい言葉で言い訳するのが経済学というものに見えてしまいます。

経済学をオーディオに例えて考えると、入力信号が増幅される原因について解明するかも知れませんが、電気の元になる電源については一切考えないような感じがあります。

経済学は、SF小説のようなもののように思えてしまいます。

日本にMBAは、必要なかった。

日本でグローバルが盛んにいわれるようになったのと同時にMBA(Master of Business Administration)という日本では経営学修士と呼ばれ、経営学の大学院修士課程を修了すると授与される学位というものがもてはやされるようになりました。

1980年の日本には、終身雇用などの世界に誇れる日本型企業経営というのが確立されていましたが、多くの創業者世代の人たちが引退した1990年ごろからMBAの経営に影響され、だんだんと企業のグローバル化へと道に突入していきました。

戦後アメリカの企業は、安価な製品を日本で生産して輸入して利益を出すという戦略を考えて実行したことで、世界一の製造工場ををもっていたアメリカの産業構造が大きく変貌しています。

安価な製品を日本で生産して輸入する方法は、当初は大成功を収めることができましたが、時間が立つにつれて、日本のものづくり精神が日本の工業技術を押し上げることになったのでアメリカの製造業が空洞化してしまい、失業者を多くだしアメリカの継続的な不景気の原因をつくってしまいました。

アメリカは、製造業では日本に太刀打ちができなくなるぐらい衰退してしまったために、実態のない金融派生商品、保険、不動産リートなどが、新しくアメリカのメイン産業になりました。

アメリカの存在しないものを理由づけて販売する能力の発展は、日本の比ではなくアメリカと日本では大人とこどもぐらい能力の差があります。

1980年後半には日本の企業にアメリカの不動産などを購入するように誘導することで、多くの日本の大企業の経営者がアメリカの策略に乗ってしまい、日本企業に多くの負債を抱えさせることに成功しました。

アメリカにとっては、日本企業が不得意な不動産で失敗させることなど、赤子の手をひねるぐらい簡単なものだったでしょう。

アメリカは、保険・金融商品ではほぼ世界を制覇した後に、日本のバブルを崩壊させ、次のターゲットは、日本の経済力の基盤となっていた日本の工業生産力でした。

安価の製品を日本で生産させたことで日本に大きく遅れをとったアメリカの工業生産力を取り戻すために、アメリカのMBAを活用することを考えだしました。

MBAに権威を持たせ世界の経営者を集めることで、多くの経営者たちをグローバル化脳に洗脳することに成功しました。

以前の日本型経営は、社長の報酬を多くとることよりも、自社の製品を購入できるようになるように社員を豊かにすることで、企業をより発展させるという経営方針でした。

社長と社員を横に並べて、みんなで二人三脚をするような経営方針です。

日本企業の経営については、日本を代表する電気機器メーカーのソニーの盛田昭夫社長の著書の『made in Japan』に詳しく書かれていますので興味があれば参考にしてください。

MADE IN JAPAN(メイド・イン・ジャパン)―わが体験的国際戦略の写真
MADE IN JAPAN(メイド・イン・ジャパン)―わが体験的国際戦略

世界でもまれな日本型経営という独自の経営方法が成功したので、日本は全ての国民が豊かになる総中流社会という、世界からも尊敬されるような豊かな日本になることができました。

このまま日本型経営を進めていれば一時的に不景気に陥っても、直ぐに立ち直ることが出来たと思われます。

しかし、初代の経営者が既に引退していることも幸いして、日本の次世代の経営者たちは、優れていた日本型経営というものを捨て去り、MBAが進めるグローバル化を推進していくようになりました。

1990年以降は、日本企業のグローバル化へと一気に進むようになり、現在に至っています。

もちろん日本企業がグローバルに向かうようになったのは、日本政府が外国の下請けとなり日本企業にグローバルを推進するように進めていったことも原因のひとつでしょう。

アメリカは、日本のバブル経済の崩壊を引き起こさせた後にソビエトの崩壊に追いやり、次なるターゲットになったのは、日本が持つ保有資産と工業技術でした。

そこで、アメリカの策略によりMBAを学びにきた日本の経営者をグローバル経営に洗脳していくことで、主要な日本の企業にグローバル化を推進させる方向へと向かわせることに努力しました。

このアメリカの戦略は非常に匠に組まれたもので、まず日本の社長の報酬をアメリカの社長と同等に巨額な報酬に上げることで、多くの日本の大手企業の経営者にグローバル化を推進することの魅力を感じさせることに成功し、人件費の安い発展途上国に国内の工場を移転させることで企業の収益をを大幅に上げれるように誘導していきました。

MBAの最大の狙いは、日本企業の技術の高い生産工場を発展途上国への工場移転だったと考えられます。

日本の大企業が工場を移転させるとなると、ただ生産工場だけを移転するのではなく、必ず製品を製造するための日本の部品工場も移転させなくばならなくなります。

この品質の良い日本製品の裏には、優秀な日本の部品工場や金型工場が必須で、日本の優秀な部品工場や金型工場が日本から外に引き出すことこそが、MBAの最大の戦略だったと思います。

外国企業が、日本の企業の部品や金型さえ入手できるようになれば、品質が劣っていた外国企業でも日本のような品質の良い製品が生産できるようになります。

日本企業がグローバルを推進して以降は、外国企業の製品の品質が大幅に向上しました。

特に自動車を見ていると顕著に表れているので、理解しやすいのではないかと思います。

1980年代の日本の自動車のデザインは、ウレタンバンパーやカラード・ウレタンバンパーなど世界に先駆けて自動車の成型デザインが優れていました。

当時のベンツやボルボなどの海外のメーカーのデザインを観察すれば、日本の自動車に比べて成型の技術がどれだけ遅れているのか理解できるでしょう。

1980年の日本の自動車のボディデザインは、成型技術の発展で世界に先駆けて、直線的でありながら角は丸くなっているような丸四角いデザインという特徴を持っていました。

日本に住んでいれば、日本の自動車が海外の自動車のデザインよりも抜き出ていたなど感じたことなどないこも知れませんが、当時、自動車に興味があった私自身からすると、日本車と海外の車のデザインの細部の品質の差は大きかったのは間違いありません。

このまま進んでいくと、デザインが優れている海外のスポーツカーであれども、デザインの成型では日本車に大きく遅れていくのではないかと感じました。

もちろん自動車のデザインだけでなく、小燃費や静音性や居住性に至るまでの細かい配慮までも、日本車は外車に比べ進んでいたのは言うまでもありません。

現在の自動車のデザインは、日本がグローバル生産に切り替えてから、どの国の自動車も似通ったデザインになっています。

1990年以降、日本の企業が開発途上国に生産工場を移すことで躍起になり活動し、世界各国に日本の生産工場が出来上がるに伴ない、世界の製造業の品質が日本並みに向上していきました。

その結果、日本の製造業は、海外の製品との差が少なくなってしまい日本のメーカーの製品の品質の優位性が見出せなく、価格競争に巻き込まれざるなくなったので苦戦を強いられています。

日本の企業は、自分のまいた種を刈り取れなくなり新興国との価格競争に巻き込まれ、自ら衰退する羽目になりました。

1980年代には、カメラ、ビデオ、レーザーディスク、オーディオ製品、時計、冷蔵庫に至るまで、あれほど世界に誇っていた日本の製造業は、現在は二ユースを見れは、日本の製造業の身売りの話ばかりで見るすべもありません。

なぜそのような結果になってしまったかと考えると、やはりグローバルを推進をしたからだというしかありません。

以前のままで日本がグローバル化を推進しないで日本型経営を続けていけば、世界の工業は日本に追いつくことはなかったと予想されます。

日本は、既に社員を大切にする経営という日本型経営というのが成功しており、国民全体が幸福になる国民総中流社会という画期的な経営がありました。

世界が認めていた日本型経営を捨ててまで、格差社会をつくるMBAは全く必要なかったと思います。

お金持ちが、より金持ちになっても全く意味がなく、国民全体が豊かにならないと意味がありません。

MBAのような、CEO一人勝ちの経営ではなく、日本は日本型経営を世界に発信して、世界の人々に幸福をもたらすべきだったと思います。

日本にMBAという学問を必要としない最大の理由は、どのように企業利益を最大になり、何兆円の売り上げようとも、社会や国民、社員を豊かにしないような学問は学問とはいえないからです。

もちろんMBAのなかにも、社会や国民、社員を豊かにするような目的などのきれい事は書かれているでしょうが、形式的なものでしかありません。

全世界の人を幸せにする経営として誇れる日本型経営を捨て去って、MBA型経営に傾倒したことは本当に残念なことだと思います。

(ここではアメリカと書いておりますが、この件は非常に表現が難しく、各国にグローバル化を推進を求めて政治や企業を動かす裏のスポンサーのようなものをアメリカと一区切りにしています。)

H社から新しく発売されたスポーツカーNSX  つづく



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