File No.62-11  『made in Japan』の意味(11) -コラム-

グローバルは、幻想でしかないことについて解説しています。

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グローバルは、幻想でしかない。

『made in Japan』に重要性を考えれば考えるほどグローバルというのは、幻想でしかないように思えてきます。

グローバルとういものを考える前に、必ずお金(通貨)の問題を考えなければなりません。

海外で製品を製作したものを海外に販売するとお金を貰わないと商売にならないので、決済が必要のなります。

その決済は、必ずb米ドルで行われます。

なぜならば米ドルは、世界の基軸通貨だからです。

私たちは国内で円というお金を使用しています。

グローバル経営で上げた利益は、ドルで決済されることを考えると日本企業がグローバルで成功しても、日本に住んでいる国民には恩威がありません。

なぜならグローバル企業は、利益をドルのままで保持して、ほとんど円に交換することがないからです。

ドルを円に交換しなければ、私たちにはグローバル企業がどのように大きな利益を上げようが、私たちの生活をほとんど豊かにしないということを意味します。

日本のグローバル企業がドルで保持した利益は、ドルで使用することになるので外国に再投資することになるので、外国にしかお金が回って生きません。

どのように日本の企業のグローバル企業が利益を上げようとも、日本国内の人を豊かにしないのは、日本企業ですらある必要もないように思われます。

日本の優秀な企業が、日本国内に留まっていると日本国内の利益になるので海外の人には恩威が余りありません。

日本の優秀な企業にグローバルへと誘導していくことが、海外の利益に繋がるので外国は日本企業の誘致を好みます。

現在の日本は、日本企業のグローバル経営によって外国を豊かにすることで、豊かになった外国が自国の軍備を増強して日本の領土を侵犯をするまでにもなりました。

この問題は、裏に日本の政治なども関係があるようですが、複雑難解なので詳しくは記載しません。

裏にどのようなことが起こっているか知れませんが、日本企業がグローバル経営に移り、日本国内の工業が空洞化して、日本が不景気になって豊かでなくなったことは事実です。

日本だけが豊かになることが全てとは思いませんが、せめて日本の国民を豊かにしてから、海外の人たちを豊かにして欲しいものです。

日本の製造業が、グローバルへと進めば進むほど日本国内では格差が発生して、国民全体は不幸にへと進んでいきます。

極端な一部の高収入を得ている人を見て、幸福であると考えることは出来ません。

保険や金融のような日本企業は、いくらでもグローバルすれば良いと思います。

しかし、農業や製造業などのような実態のあるものはグローバルをする必要はありません。

農業や製造業は、国内で十分な生産したものを輸出をすれば良いだけで、わざわざグローバルにして海外で生産したものを逆輸入していては、日本国内は、購入するばかりになり何れ貧困になっていくことでしょう。

不思議なことに日本を豊かにした製造業ばかりがグローバルになり、日本が貧困になることに全く関係ない日本の保険や金融は、ほとんどグローバル出来ていない状況です。

このような矛盾を考えないわけにはいかないと思います。

日本の企業がグローバルを推進すればするほど、日本国内の社会には貧富の差が大きくなり、全体の幸福は落ちてしまいます。

グローバル経営の日本企業が、どのように大きな収入をえても、日本国民全体の収入が減るとグローバル経営など全く意味のないものになります。

日本国内を豊かにしないなら、日本にグローバル経営など必要ないと思います。

グローバル経営が、幻想でしかない理由には、上記の機軸通貨のドル問題を忘れてはなりません。

機軸通貨のドルは、米国のお金(政府借用書)なので、物を購入したりすることが自由に出来ます。

普通に当たり前のことで、日常的には基軸通貨のことなど全く考えることはなく、せいぜいドルと円と為替レートぐらい気にするぐらいだと思います。

しかし、ドルというのは、ただお金として物品などと交換できる約束が存在しているだけで、お金自体には全く価値がなくただの紙切れとも考えられます。

つまり必要であればドルというものは、いくらでも発行できるということを意味します。

グローバルを推進した日本企業が不況に投入して、株価が低迷しているとき、どこかの企業が何処からともなく大量のドルを用意して、グローバルした日本企業を乗っ取れるということです。

企業が何処からともなく大量のドルを用意するというのは、買収元の企業に自己保有資金などは必要なく、銀行に借り入れたり、ファンドを立ち上げてたリして買収資金を用意できるということです。

もちろん資金を準備したことには、適当な理由づけとしますが、買収元の企業の信用力や資金力からでは普通では出来ないような大きな資金を用意することが可能になるでしょう。

ある者たちが、優秀な日本のグローバル企業に成長させることを望んでいるのは、グローバル企業は、最終的には必ずある者たちの所有物になることが約束されているからです。

ということは、浮かれた日本のグローバル企業に泳がすだけ泳がしておいて、ここときた時に日本のグローバル企業に痛恨の一撃をお見舞いを食らわすことが可能だということです。

日本のグローバル企業に泳がすだけ泳がすというのは、何も知らないで利益を求めて何十カ国に生産工場を建設させることで、拡大に拡大を繰り返させて企業を限界までに拡大させることです。

テレビやニュースで、日本のグローバル企業が何兆円も売上、何千億円も純利益があると騒いで日本企業の世界での活躍を大きくアピールすることで、日本の人々が誇れる企業のひとつとして崇められているようですが、それは全くの幻想に過ぎません。

ある者たちからすれば、日本のグローバル企業の何兆円も売上や何千億円も純利益は、ただ一時的に企業に預けているに過ぎません。

時間と共に、何れ日本のグローバル企業は、ある者たちの所有物になることが約束されているからです。

ある者たちの所有物となった日本のグローバル企業は、思考も心も魂までも売り去って、全てをある者たちに仕えなければならなくなります。

まるで、現在の奴隷システムのようにも見えます。

日本企業が、グローバル推進していくということは、日本に住んでいる人たちの幸福など関係なく利益のみの追求が目的になるということです。

グローバル経営することの難しさの最大の理由は、基軸通貨がドルであることが上げられます。

ドルは、金などの価値のある実物と交換することは出来ません。

ドルの価値を金で保障されていないということになります。

ドルの価値を保障するものは何もなく、だたそこには商品を購入したときの払う約束ごとがあるだけです。

つまり、ドルというものには何の価値も存在しなく、ドルに価値があるように思い込んでいるだけなのです。

ここで矛盾が、『現にドルを持っていれば、何でも交換できるし問題ないのではないかと』生じると思います。

このあたりのカラクリを説明するのが難しいのですが、製品を生産すると必ず取引が必要になり、取引上の利便性から、『約束を保障した紙=お金』が必要になります。

『約束を保障した紙=お金=ドル』を実態のある物(金)の保証を必要とせず、取引の発生した事実により無制限に供給できる機関が存在しているということが重要です。

このドルを無制限に供給できる機関からすれば、世界から何を求めるでしょうか?

個人的なことで考えると理解しやすいのではないかと思います。

私たちは、常に少しでも多くお金を持ちたいと考えています。

多くのお金を持っていたら何でも購入でき、いつでも物的な要求に満足することが出来るからです。

もし、自身が必要な時にいつでも自由にお金を発行できるとしたら、常に少しでもお金を持っておきたいと考えるでしょうか?

自身が必要な時にいつでも自由にお金を発行できるなら、本人が一番お金がお金のままであるなら全くの無価値であると知っているので、お金が欲しいなど微塵も考えなくなります。

常に少しでも多くのお金を持っておきたいと考えている人を見ると、愚かにしか見えなくなるでしょう。

このことが、グローバルとは幻想でしかないという一番の理由になります。

ドルを無制限に供給できる機関からすれば、企業などを支配するためには、金利を要求してお金を求めますが、当の本人たちにはお金を必要としません。

つまり、ある者からすればドルという何の価値もない紙切れ(電子データ)を、実態のあるものに交換することが最大の目的になります。

実態のあるものをに交換して所有していれば、この先、ドル不安などが発生してドルの価値が低下したとしても、既に多くの実態のあるものを所有しているので問題にはなりません。

優秀な日本の製造業が国内をメインに活動していれば国内で回していくことになり、日本の製造業を所有することが困難になりますが、優秀な日本の製造業を世界のリングに立たせてグローバル経営にすると、ドルで決済になるので、何れある者たちの所有物になることになります。

現在、どのように日本の製造業が、グローバル経営によって成功しているように見えても、何れは、ある者たち所有物をなるので、グローバル経営で成功などあるのだろうかと思えてきます。

また、日本国内では、経営の合理化などの理由で水道の民営化など国民の生活に大きくかかわるインフラまでも民営化するような話がでています。

日本の国民が、生きていく上で大切な生活インフラを民営化することに疑問に思わないでしょうか。

これは、日本の生活インフラを民営化することでグローバル企業に経営させるということになるということです。

グローバル企業というのは、ある者たちの所有物なので、間接的に日本のインフラをある者たちの所有物になったということになります。

日本のインフラの民営化することで、ドルという何の価値もない紙切れ(電子データ)を、実態のある物に変えることができるのです。

今後、ドルという何の価値もない紙切れ(電子データ)を実態のあるものに変えるために世界中で、グローバル企業化、生活インフラの民営化、農業のグローバル化へと進んでいくことが考えられます。

世界のどの国も、グローバル企業化、生活インフラの民営化、農業のグローバル化に進んでいくにつれて、大きな格差社会になり、国民の多くが貧困になっていくでしょう。

グローバル企業というのが楽しくないのは、利益の為なら手段を選ばず国民の多くが貧困になっても関係ないからです。

グローバル企業では安全を確定していない食品でも、薬品でも、利益の為なら資金力を利用して政治に働きかけて販売できるようにしたりするのが普通の行いとなります。

そのようなことからグローバルというのは、幻想ではないかと思います。

補則

機軸通貨のドルというものが紙切れでなく価値があるといわれるなら、もし、グローバル企業が、冗談でも将来に備えて上げた利益のドルの一部を金やプラチナの交換すると発表したとすると、世界中から袋叩きにあい倒産に追い込まれるでしょう。

機軸通貨のドルというものが紙切れでなく、価値のあるものなら金やプラチナの交換に制限されることはありません。

価値のない仮想のものを、実態のある価値のある物に交換することがグローバル戦略というものだと思います。

松下幸之助の写真
松下幸之助

もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました。

グローバルによって大きな利益を上げることができた企業、政治家、グローバル企業に働いて大きな収入を得ている方たちは、『もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました。』という考えになっていきます。

大きな収入を得ていることで、世界中何処にでも住むことが可能になり、素晴らしい未来像を夢見ているものだと思います。

もはや日本国すら必要ないと考えているかも知れません。

たとえ日本という国がなくなっても、世界中の何処かの国に移住すれば良いだけだからと考えていると思います。

現に今、何処かの国で快適に住んで仕事をして、大きな収入をえているので、日本がなくなったとしても生きていくことが可能だと考えているものだと思います。

この考えは、世界というものを全く知らない無知としかいいようがありません。

もし、日本という国がなくなれば、私たちは何処の国にも住む場所はありません。

例え個人的に大きなお金を持っていたとしても、全く無意味でしょう。

どれだけ世界に広い土地が余っていたとしても、私たちは何処にも住むことは出来ないでしょう。

現在、私たちが、お金さえもっていれば自由に海外に移り住むことができるのは、日本国が存在するからで、その日本国があることによって、世界での日本人の身分が保障されているからです。

もし日本国がなくなれば、現在のように自由に海外に移り住むことなどできなくなります。

現在、当たり前のように海外へ行き、海外に移り住むことができるのは、日本国があることで可能なことなのです。

日本国がなくなれば、世界での日本人としての身分を失い、どのように世界に財産を分散して持っていても、何処の世界の地にも住むことはできません。

あなたが、どのようにエリートだったとしても、どんなにお金を持っていても、日本人としての身分がない限り、世界では生きていくことはできないものなのです。

グローバル至高主義のような考えの人たちは、日本国の存在そのものが、私たちにとってどれだけ大切であるのか、全く理解していないように見えます。

このような基本的なことすらグローバル信仰によって、見えなくなってしまっているように思います。

日本国が、なくなったときのことをを想像してください。

今までのように日本人として、生きることすら難しくなるのが容易に理解できるのでないでしょうか。

日本国というものを存続させることに努力することこそが、日本人にとって最大の幸福に繋がると思います。

もちろん、世界各国の人々も自国を大切にするということは言うまでもありません。

おわりに

今回、コラムの記事として『made in Japan』の大切さを書きたく思い掲載させていただきました。

オーディオでかつてのような高品質な『made in Japan』の製品が、登場することの望んで書いたつもりですが、お話がオーディオから逸脱している部分が多くオーディオファンには面白くなかったと思います。

私自身『made in Japan』のことを思うと、想いが強くなり頭の中が上手く整理できなく、いろいろなことを掲載してしまいました。

オーディオにほとんど関係ないようなことも、私自身のオーディオにおける想いが、日本企業のグローバル推進批判にも繋がっています。

1980年代の日本のオーディオは、本当に輝いていました。

オーディオメーカー各社は真面目にオーディオ機器に取り込み、日本で生産されたスピーカー、アンプをはじめ、様々なオーディオ機器が家電ショップに展示されていました。

本当に豊かに時代で、日本の先行きの不安など全くもつことはなく、考えたことがありませんでした。

しかし、日本のバブルが崩壊した1990年時点から日本の製造業というのが大きく変わってしまい日本で確立していた多くの高度な生産工場を海外にどんどんと移転し始めました。

その結果、日本の工業に空洞化が発生し、日本が長期的な不景気に突入することになりました。

多くの日本の企業はグローバル推進によって、本当に大きな利益を上げることに成功したのでしょうか。

私が知る限りは、大手の日本の家電メーカーは、グローバル推進によって技術力の低下により販売不振になり、身売り状態になっています。

グローバルを推進してから、日本の製造業の技術力と生産力が低下したために日本の製品の品質が著しく低下しました。

日本の製造業の技術力が低下したというと、誤解があるかも知れません。

確かに一部の日本でしか製造できないような製品は、技術的・品質的に向上しているのは事実ですが、一般的な日本の家電製品などの開発力と技術力は大幅に低下したのは事実です。

オーディオ製品を見ると、30年前に比べ大幅な開発力が低下しているの分かるでしょう。

スピーカーなど観察すると普及帯のスピーカーには全くオリジナリティがなく、自社で生産していないのが見とれます。

また、少し資金力のある企業が少しオリジナリティあるオーディオ製品を発表したと思えば、考えられないぐらい高価な製品であったりします。

30年前なら10万円ぐらいの価値しかないようなオーディオ製品が、現在では100万円ぐらいの価格で売られていいます。

日本の企業がグローバルへ推進した結果、日本国内の自社で開発する技術を全て捨て去ってしまったために、新たに開発するのに1から設計・製作しなければならなくなり、同じようなものでも高価にならざる得ないからです。

かつての日本の家電製品、ビデオ、レーザーディスク、オーディオ製品などには、本当に夢があり魅力的でした。

製品のカタログを見るだけでも楽しいものでした。

特に高級なオーディオ製品などは、消費者に夢を与えてくれたものです。

そのときは金銭的に購入できそうにないものでも、『いつかは、このスピーカーを購入したい』などと夢がありました。

平成生まれの方には、残念ながら、私が感じたような感覚は持てないかもしれません。

現在は、いろいろな製品があるものの、かつてのような製品を見ているだけでも幸福であるような感覚を全くもてません。

日本企業のグローバル化に伴ない、日本生産の製品がなくなり、本当に楽しくなくなってしまいました。

私は、オーディオのオカルトが好きではありませんが、現在発売されているいろいろな製品を見ても、製品からただようようなオーラのようなものが感じられなく、製品が死んでいるように感じてしまいます。

どのように多くのラインナップの製品があっても、製品から出るエネルギーが全く感じられないので魅力がありません。

1980年代には、日本で製品を生産することなど当たり前だったので、『made in Japan』というものの大切さなど全く理解していませんでした。

しかし、現在のように『made in Japan』の製品が日本からなくなり、品質の低下した製品が普通に販売されているようになったとき、『made in Japan』の大切さを痛感しました。

日本で住んで『made in Japan』の製品を買うことができない現実が、今ここにあります。

本当に残念に思います。

どのような製品でも、良い製品を作ろうと気持ちの入った『made in Japan』製品が普通であった時代は、各社が競いあって製品を開発していたので、少しでも他社よりも良い製品を販売しようという気持ちが日本企業にはあり、日本の家電機器メーカーは、製品の品質向上やサービスの向上に励んでいました。

この時代の日本の製品は、日本独自のレベルの高いメーカー同士の高品質競争があり、品質の悪い製品は存在できなく、消費者にとって良い時代だったと思います。

日本企業が、グローバルを推進したことで、日本の製品の著しい品質の低下がおこりました。

長い間の品質の低下にさらされると、高品質というものが何であるか理解できなくなります。

平成生まれの方は、日本製品の品質が良いというものが、どのようなものかを理解することが難しいように思います。

低品質の製品の中に埋もれて慣れてしまうと、高品質の製品を求めなくなってしまうことが、最も怖いことだと思います。

最初は、100円ショップの品質を悪く感じていても、いつの間にか100円ショップの品質が気にならなくなることと同じです。

消費者として企業に製品の高い品質を求めることは、企業の発展に繋がります。

企業は、消費者が求める前に、良い品質の製品を提供する努力を惜しむことは許されません。

日本企業が、品質の良い製品をつくろうと思わなくなったときに、既に競争に負けています。

日本企業のグローバル化によって、失われた日本国内の技術力と開発力の低下を、いつかは解消していかないといけないと思います。

それが長い道のりになったとしても、解決していく努力をしないことはできません。

現在の状況で日本で生産することが不可能だと思えても、いつがこの手で日本で生産する製品をつくるという希望を持ち続ければ、必ず達成できるものだと信じています。

誰がなんと言おうとも、絶対、日本で製品をつくりあげると意思を持ち続けて、亀のように遅くても少しづつ前進していくことが重要だと思います。

オーディオのサイトながら、『made in Japan』のことを語ると熱くなってしまいました。

                          おわり

                         



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